百円玉硬貨

相変わらず、精神的に眠れない日々が続き、一時「ラジオ深夜便」をBJM代わりにしなくても、穏やかな睡眠を確保していた。

 

しかし、残念ながら、すっかり、逆戻りをしてしまった。

 

音量を下げて、ラジオによって心の安定をしている状態であるが、「今日は何の日」で、今日は「百円玉の日と」、ぼんやりと聞き流していた。

 

その後、エレベータにも「百円玉記念日」とある。

1957年(昭和32年)、板垣退助の紙幣に変わり、百円玉が発行されたと

表示されている。

 

1957年(昭和32年)と言えば、私が岡山の母校の小学校を卒業した年だと

とても、紙幣から、硬貨が発行された縁に、不思議な想いを覚えた。

 

更に、1947年(昭和42年)に、材質が、白銅に変更されたと、ネットで

検索すると、これまた、私が大学を卒業した年に当たる。

 

コロナ禍で、感染を避けるために、硬貨や紙幣の使用体系が変わった。

嘗て、現役時代、ハンドバックが数分の間に盗難にあった私は、クレジットの使用に慎重になっていた。

 

まだ、解明途中のオクミクロン株の発症もあり、今後も、変異株の発生を食い止めるには、素人でもまだ、続く可能性があると判断した私は、遅まきながら、クレジット決済に戻った。

 

情報によれば、金融機関によれば、入金する際の硬貨使用にも、来年から変更になるとの情報に、コロナを機に、「ホスピタリティ」は死語となる時代になり、何処まで生活スタイルの変化が進むのか、更に、人の心にまで及ぶのかと想うと、とても侘しい気持ちになる。

 

硬貨一枚のわずかな重さと、材質の金属の冷たさがジーンと、堪えると共に、時代の流れと転換期に、耐えるしかないと想うと、心が冷え込む。