公園の柿の木

昨夕、友人から、帰郷したふるさとのお土産に、ビタミンカラー一色の柿を頂いた。

 

恥ずかしながら、私にとっては、今年初物であった。

食後のデザートに、季節を味わいながら、甘く、舌触りも柔らかく、美味しかった。

 

柿を食しながら、私は、ある公園にある「被爆柿の木2世」を思い出した。

 

今日は、必ず、散歩コースにと、立ち寄ると、公園の奥に、赤葉や黄葉に

色づいた柿の木が2本があったが、柿の実が実った形跡はなかった。

 

帰宅後、確か、グーグルドライブに残していた、当時の植樹記念の記事を探したが、見つからなかった。

 

記念の銘板によれば、1996年3月5日に、公園に隣接していた小学校の子どもたちに贈られたとある。

 

遡ること、1945年、長崎に原爆が投下されたが、柿の木が生き残っていた

木から、1994年樹木医によって、被爆の柿の木から、「2世」を生み出し

子どもたちに配る活動を始めたそうだ。

 

やがて、そのプロジェクトは、現代美術作家の宮島達男氏により、「時の蘇生」として、その一環として、小学校の子どもたちに寄贈されたのだ。

 

偶然、当時を知る小学校のPTAの役員に出会い、尋ねたところ、すっかり

忘れていたそうで、近いうちに、柿の木を見に行ってみると、懐かしそうに往時を思い出す表情を見せた。

 

25年の歴史を物語るように、2本の柿の木の根だと思うのだが、地上には

根があちらこちらに伸びて広がっている生命力には、背負った歴史の重さを改めて感じた。