「運針」の試験

今朝の日本経済新聞には、首都圏における「中学受験」の特集号として、

別紙で、取り上げていた。

 

中学受験といえば、既にセピア色というか、数えてみると、64年前に遡る時代である。

 

さすが、特集号だけあって、内容も読みごたえがあり、コロナ禍における最前線の受験等々にも触れ、私は、じっくりと読み始めた。

 

確か特集後の終わりのページの紙面の中央辺りに、「運針」という伝統の

小見出しが目に入った。

 

豊島岡女子学園中学校・高等学校校長の竹鼻志乃氏によれば、女子裁縫専門学校をルーツとし、「運針」という独自の教育かつ誇るべき伝統あると紹介している。

 

まだ、運針を教育の一環として続けている学校があるんだと、私は思わず

声を上げながら、中学校に入学して、初めての家政科(家庭科)の授業が「運針」だったと記憶している。

 

真っ白い晒布に、赤い糸を通した針で、一針一針、針を運んでいく、その名の通り「運針」ではあるが、その縫い目はまっすぐで、きめ細かく揃えなければならないのである。

 

確か、指ぬきもして縫っていくのである。

 

やがて、その努力を試される「運針」の試験があり、点数や、批評をいただき、また、次なる試験まで、頑張るのである。

 

中学校に入学して、私は白い晒布に赤い糸が、今でも鮮明に残っている。

 

記事によれば、ある保護者から、「運針はマインドフルネスですね」と。

豊島岡女子学園は、授業前の、毎朝8時15分から5分間を、「運針」に充てているとのこと。

 

これまで、私は、母校の小学校については、多くを記してきたが、中学校時代は、スルーしてきた。

 

岡山市(現在は倉敷市に移転)のノートルダム清心中学校を卒業後、高等学校は家庭の事情で、1年生だけの在校生だった。

 

わずか、4年間のノートルダム清心の学校生活ではあるが、「運針」を通して、久しぶりに中学校時代を懐かしく思い出した。

 

因みに、日本経済新聞の夕刊に掲載の、エッセイスト平松洋子氏が、偶然倉敷の酒津焼を検索中に、氏が清心の中学、高校の出身と知った。