二つのお願い

秋のお彼岸は長いと聞いているが、今日25日に曇り空の重苦しい空模様を案じながら、お墓参りに出掛ける。

 

どうしても、両親に秘めたる揺ぎ無い想いがあり、私は、これまで初めて両親の眠る墓参に助けを求めた。

 

既に決心しているのに、意志の弱さで延び延びになっている目標に対して

全く、予定通りに進んでいないのである。

 

両親の墓前を前に、総括してみると、俯くより仕方ない状況である。

 

昨年の術後の自分に対する責任に対しての行動力は消え失せ、全くの情けない日々を過ごしているである。

「緩み」なんて問題ではないのである。

 

昨年の退院後、私は、いつか来るべき病状の変化に、用意周到に準備をする日々に追わていた。

目的と張り合いがあったのだが、取り敢えず、ある程度、終了したことが却って、私を安心させると共に、目的や使命感、強いては責任感に「箍」が緩んだことを意味している。

 

毎週土曜日の日経新聞に、梯久美子氏による「この父ありて」という連載があり、以前、ブログでも取り上げた作家田辺聖子氏の最終回に、田辺氏自身が父親について、「どうにか、小説家になってたくさんの本を出して

もらえたのは、父に守られている日からだと思っている。きっとあの世で神サンに、いろいろつけ届けしてくれたはず」という件である。

 

墓参で、私も多くは望まないので、「二つの私の願いを神サンに付け届けしてね」と、お願いした。

 

きっと、叶えられると信じて、秋の気配が強くなった墓前を後にした。