処暑と柘榴

今日は、近くの公園で、ちょっとお喋りをしましょうと、友人と先週末に

約束して、楽しみにしていた。

 

処が、8時過ぎから、突然、大気が不安定になり、ゲリラ雷雨になった。

 

約束の時間までには、まだ2時間近くあり、「晴れ女」といわれてきた私は

地面を叩きつける雨に臆することなく、絶対に晴れると慌てることなく、

雑用をしていた。

 

友人からも、何ら連絡もなく、様子を見ているのだろうなと思っていた。

ほぼ、1時間で、お日様がにっこりと顔を出したのである。

 

どんどん、すっきりとした青空が広がり始め、思わず、笑みがこぼれる。

 

先週末、9月になると、近くの小学校が、建て替え工事のために、引っ越してくる小学校の庭に、大きな柘榴の実を見つけた。

 

今日は24節気の「処暑」、暦の上では暑さが峠を越して、ひと段落する頃といわれているが、とてもとても、程遠い。

 

その証拠に、約束の公園にある切り株を利用した椅子の上のコンクリートは、既に卵焼きができるほど、熱く、座ろうものなら、お尻が火傷をする日差しの強さが戻っていた。

 

仕方なく、路地から路地を散歩することになった。

先ほどの雨で、植木鉢やプランターの花が生き生きとして、私たち2人を楽しませてくれる。

 

強力な感染力を持つラムダ株に、負けないためにも、ゲリラ雷雨の「打ち水」のお陰で、歩数計を見ながら、こんな散歩も良きかなである。

 

昼食後、「柘榴」の実が気になり、見上げるも、まだ硬い果皮に覆われ、

避ける気配は感じられない。

 

そういえば、ふるさとの自宅の庭にも、大きな柘榴の木があり、梯子を

欠けないと、裂け赤い実がはみ出しそうになっている実をとってもらう。

 

裂け始めた果皮を力いっぱい割って、赤い小さな実を口に運び、種は

友達と競って、勢いよく飛ばしっこをするのが、楽しかった。

 

「処暑」を迎え、懐かしいふるさとを思いだしていた。