夜空に想いを馳せる

最近はもっぱら夕刻から夜空に変わる19時から20時に、1万歩の散歩を始めているが、首が疲れるほど、夜空を見上げている。

 

今日は交通信号設置の日と知る。

歴史は古く、1931年、90年前に銀座4丁目の交差点から34か所に3色灯の

自動信号機が設置されたそうだ。

 

散歩を始め、日頃お世話に成っている信号機を、1万歩だと幾つかを数えてみようと思い付き出かけたが、途中で、スマホ片手の通りすがりの人から道順を尋ねられた途端に、すっかり今までの数量を忘れた。

 

唯、3色灯の信号機と2色が点滅する信号機や、LEDで色彩的にはフラットなシンプルな信号機等々、2色と3色の信号機はどこで区別しているのかなと、結構楽しませる発見があった。

 

信号機の変わるのを待っている間、夜空を見上げたら、金曜日の夜だろうか、飛行機が上空を旋回している。

 

金曜日の夜は、私も経験があるが、着陸支持を待って、上空を旋回しているのではと思った。

 

もしかしたら、旋回から24日からのオリパラの関係者を乗せているのではいるのではないだろうかなどと、首には負担がかかるが、飛行機を追いかけていた。

 

嘗て、私も、関西に出張の際は、いつも伊丹空港の最終便を利用していたが、やはり、羽田空港の着陸待ちを経験しているが、今でも、その遅延が

気にならず、寧ろ達成感を味わっていた時代を懐かしく思う。

 

更に、夜空散歩の近くに保育園というかこども園があり、窓越しにランチメニューとおやつのメニューが道路越しに見える。

 

母校の小学校に隣接するこども園を懐かしく想う。

特に、運動会の子どもたちの元気な声と、笑顔が忘れない思い出である。

 

必ず最後の夜空散歩のコースは、住まいから5分ほどの距離にある都立の

高等学校には、歴史のある大木があり、ちょうど、道路から運動場が広がりその真上に、満月より一日早いが、殆ど満月と区別がつかない明るく、冴え冴えとしたお月様が、煌々と輝いている。

 

立ち止まって暫く、素晴らしい輝きのお月様を見ているうちに、ふるさとの母校での夜空で見上げている想いに馳せ、重なっている自分に気付く。

 

コロナの感染が日を追って勢いを増している今、私は「ふるさと離れ」を

しなければとの覚悟をしているものの、心は揺れている。

 

それだけに、高等学校の庭から見えるお月様に、ふるさとへの想いが募り胸が熱くなってくるのを御せないでいる。