灯りの力と月明かり

先月末に、不運にも部屋の2機の照明器具がダウンして、補助灯の心細い生活をし続け、夜間散歩で気持ちを紛らわせていたが、お天気もスッキリしないため、気持ちがどんどん沈みがちになっていった。

 

まして、ふらつきもあり、ますます、不安感が募り、精神的に何とか、此れしきのことと、自分に自分で「活」を入れようとするが、白旗状態だ。

 

旧暦のお盆休みも終わり、平常に戻った今日、待ち草臥れていた照明器具の取り付けに辿り着いた。

10年前のいわゆる蛍光灯から、遅ればせながらLEDに取り替えたが、現在は、嘗ての冷たく強い光線のイメージはなく、色々な使用方法が設定されている。

 

以前にも、確か、父親がまだ若いころ、一人住まいをしている時に、灯りの点いていない部屋に帰るのが特に冬は辛かったという話を思い出した。

だから、結婚して子どもにはその辛い想いをさせたくないといっていた。

 

冬でなくても、長引くコロナ禍の中での滅入ることの多い日々を過ごして

いると、僅かな変化にも心が和むのである。

ましてや、極端に言えば、暗闇の部屋が、照明器具のお陰で、とても気力が回復してくる。

 

昨夜も夜空散歩で、お月様に出会え、昼夜を通して幸せになる。

間もなく22日が満月とのことで、昨日は明るさも強く、ふっくらとした

お月様と、一万歩のデイトをして、帰宅すると、新しくなった部屋の灯りが迎えてくれた。

 

「灯り」と「明かり」の二つの「力」に支えられて、スイッチをオンにしなければと想ったのである。