月と飛行機

体のバランスが取れない不安定感のために、散歩を避けていた。

寧ろ、続けていた一万歩の散歩を中止して以来、常に頭からすべての神経が足元に集中していて、結果的にはすっかり臆病になっている。

 

歩いている時に、又、一時意識が飛んだり、足元に力が入らないでふらついたらとマイナス面がフラッシュバックのように、くるくる廻っている。

 

午前中は、この際、我が身のオーバーホールとして、眼科も受診する。

受診を待っているうちに、新聞か、書籍でよんだ記事を思い出した。

 

所謂、私のように、これまでの走り続けた生活から解放されて、「毎日が日曜日」を憧れていたが、現実は逆であったという体験談である。

 

つまり、さあ、これからのんびりしましょうなんて思う楽しみは、夢であり、現実は自己との闘いであったと気づく。

 

そうならないように、これまでの長年のリズムをできるだけ続けていく方が、良いそうだ。

例えば、出勤コースを歩くとかしながら、徐々に「新しい生活スタイル」を見つけていくといった内容だった。

 

間もなく、9月で、術後1年を迎えるが、退院後の私は、几帳面に「雨にも負けず」の強い決意で、散歩というか、歩き続けた。

 

今の私は、確かに、自分に甘く、我が儘になっている。

危なげなく、階段の利用も通常になった「緩み」に、先日のごみ問題での

過重労働が私には思い当たる原因である。

 

又、スタート地点に戻って、日曜日の15日から、傘をお供にして目指す処の一万歩の散歩にトライした。

 

不思議や、不思議、日を追って、案じていたふらつきと意識が飛ぶことは

無くなり、時々、足元の力が入らないで、立ち止まって、リセットする程度にまで、漕ぎ着けた。

 

今日も夕刻から出かけ、ふと、見上げた宵月に大きく淡い上弦の月?が、久しぶりに目に入ったと同時に、そのすぐそばを機首をまっすぐにした一機の飛行機の翼の灯りがちらちらと綺麗に見えた。

 

間もなく日没を迎える空を、我を忘れて見上げ続けていた。

凡そ、10日間ほど続いた、ふらつきはなくなり、首が痛くなるほど、時を忘れて、月と飛行機のショウを見続けた。

 

飛行機の行方を追いかけているうちに、空のトーンが変わってきた。

時計を見ると、18時28分であった。

恐らく、日没の時間に間もない時刻だけ出ている月だと、分かった。

因みに、昨日の16日が「上弦の月」だったと知った。

 

散歩の収穫というか、プレゼントだと心が和んだ。