手製のキッチンタオル

最近実滅種のハワイ語の記事に、私は日本語も該当すると思う今日この頃である。

 

既に、病院ボランティアの3年生を対象にした講義で、私は、当たり前に、日常会話で通じていた言葉は理解できないというか、生徒にとっては、初めて接する表現なのかもしれないのである。

 

振り返ると、ある病院に友人のお見舞いに行った際に、その友人から、

「ハンドバック一つで御入院下さい」と知り、彼女は素敵な入院着を使用しているのには、正直、私は、いつ入院しても準備万端と、チェストの多くには、パジャマやバスタオル、タオルを用意していた。

 

処が、昨年の九月の入院で、確かに、「バック一つで」で入院できた。

 

コロナ禍の時代、入院時に用意していた白いタオルが、多く残されているので、私は、キッチンタオルに残された白いタオルを、半分に折り、切り口を記憶を辿るとほつれないように「まつり縫い」をしていくのである。

 

然し、日常生活での経験が少なくなったせいか、進むうちにちょっとした気の緩みから、親指に針を刺してしまった。

 

思わぬ親指からの、僅か一針からの勢いよい血が止まらない。

母親からの声が聞こえたのである。

血の噴き出した部分を、「鋏か硬い金属で叩きない」と。

 

コロナの感染もあり、私は、母の言葉通り、思い切り叩き続けて処、見事に出血は止まった。

 

改めて、世代交代で、過去のアナログ的な部分にも、長年の体験を通した知恵があると再認識したのである。

 

今は確認していないが、嘗て私は「手当」という言葉が、禁句になっていると、ある立場の人から注意されたのを思い出している。

 

パソコンの活字転換にも、ある意味で、絶滅危惧種というか、死語が増えているように思うのは私だけだろうか。

 

文字に関わる人の責任でもあり、日本人としての誇りを持って欲しいと思うのは、既に時代遅れの「犬の遠吠え」と、一蹴される時代の流れか。