4度目の緊急事態宣言

昨日のゲリラ雷雨で、見違えるように清々しい青空の朝を迎えた。

然し、東京は、今日から来月の22日まで、緊急事態宣言が始まった。

 

リバウンドを重ね重ね、4回目である今回は、東京オリパラを控えているが、何とも高揚感が感じられない。

 

先日も、病院で、前回の1964年の東京オリンピックを知らないというか、

見たことがないと、ドクターをはじめとして、医療者も、同じ返事が返ってくる現実に、私は、自分の歳を改めて感じるのであった。

 

さて、緊急事態宣言の毎日を予定通りに、スイッチをオンにして、始めるとしようと想うだけで、私は、不思議に緊張感を覚える。

 

凡そ、2か月近く続いた問題も、相手が先に動いたことで、理解できた。

「天の配剤」というか、私が関わることもなく終わりに至ったのである。

 

これで、今朝の青空のように、爽やかにスタートしたいと、反対側の空を見上げた処、薄曇りの空が広がっている。

 

昔から「夕立三日」というが、一方の空には、いつ、昨夕のような天候になっても不思議ではないという不安定さがある。

 

午前中は、大丈夫と、15分ほど、散歩をしながら、今日は、何から始めようかと蒸し暑さと闘いながら歩いた。

 

リハビリを一日休むと、また元に戻ってしまうというが、確かにスムースに足が動くから、暑さにも負けず、頑張ると決める。

 

午後の空を見ると、いつ雨が降り出しても不思議ではない、不安を感じ、安全のために、散歩は中止して、断捨離する資料の区分けをしていた時に友人からスマホに連絡がはいった。

 

珍しく、声の調子が尋常ではないのである。

友人にとっては、家族の一人が、体調を崩し、状況の改善が見られなければ、救急車を手配しなければと、心配と不安に満ちた声が伝わってくる。

 

友人にとっての「緊急事態」が発生し、とにかく私に来てほしいと。

何もできないが、私は病気の経験が多いので、少しでも役に立つ場があるかもしれないと、ぽつぽつと小粒の雨を感じながら、友人宅に急いだ。

 

とにかく、近所のかかりつけ医からの投薬を飲んで、様子を見てからとの

本人の気持ちを尊重して、案じながらもとりあえず自宅に戻った。

 

数分前に、薬が効いたのか、一時の状態が改善したようだとの連絡があり

安堵すると共に、回復してほしいと願いながら、ブログを書いている。