ソフトクリーム

今朝のエレベーターに乗ると、今日は「ソフトクリームの日」とある。

 

そういえば、初めてソフトクリームを口にしたのは、小学校の5年生だったと記憶している。

 

夏休みに、苦虫をかみつぶしたような父親と、東京の出張に、東京に住んでいた母親の勧めもあり、東京に一緒に行くことになったのである。

 

当時は今と違い、岡山駅から、夜行列車に乗り、いわゆる車中泊をしながら、東京駅には、朝に着くといった今では、考えられない長旅であったがよくぞ、体力が持ち堪えたと思っている。

 

その夜行列車に乗る前に、駅弁を販売している「三好野」が、駅の構内にレストランがあり、私の前に白い渦巻き状今にものこぼれそうな柔らかいクリームが、三角の最中の皮のようなうえに乗っかっている。

 

父親は、私が初めて見るソフトクリームに驚いて、どうやっていいのか

分からずいると、「早う食べんと、溶けるけえ、ペロペロと上から舐めるんじゃ」と、何と、食べ方をレクチャーしてくれた。

 

父親は以前食べて、美味しかったので、私に食べさせたかったらしい。

 

自分は、何も注文せずに、私が、ペロペロと脇目も振らずに舐めているのを、最後まで、付き合って、最中らしいのはコーンというそうだが、それも香ばしく、「それもみんな食べられるけえ」といって、これまた、嬉しそうに見ているのである。

 

日頃、気難しく笑顔など見せたことのない父親が、なぜか、先ずは自分が食べて美味しいと思ったものを、私にも体験させてくれたのである。

 

「うまかったか?」と一言聞いてきた。私がうなずくと、満足げに「ソフトクリーム」と名前もその時分かったのである。

 

そして、夜行列車に乗ったのである。その時の夜行列車が鳥の名前だったが、思いだそうと想うが、残念ながら、「つばめ」か「かもめ」だったように思うのだが。

 

リズミカルともとれる列車の揺れが、適度の眠りに誘われ、気が付くと、

既に、車窓は明るくなっていた。

 

やがて、熱海の駅に着くと、父親が、タオルと歯磨きを持って、フォームに降りるように促した。

フォームでは、流し台のようなところで、歯を磨いたり、顔を洗っている風景に、私は驚いていると、熱海駅で、東京駅に着くまでに、多くの人が身づくろいすることが分かった。

 

ちょっと、私には、流し台が高すぎるので、蛇口に手が届かないでいると、父親が、抱きかかえてくれたのである。

 

改めて、父親らしい気遣いに、とても嬉しく思った。

父親は、出張先では、自宅で仕事をしている時とは、全く違った行動をするのが、どうして、普段はしてくれないのだろうと、今でもわからない。

 

然し、本当に、父親には私は色々と、教えてもらったなあと、これが父親の私に対する愛情なのかなと、思っている。