夏至の日で終わる

私は、ある問題で、私なりに心を痛め、悩んでいた。

 

今日は24節気の「夏至」の日もあり、気のせいか、いつまでも明るく、日暮れを見逃すほどの明るい東京の夕刻であった。

 

なんでも、日本気象協会によれば、4時間越えは110年ぶりとの報道に、私の感覚も衰えていないと、思った。

 

その、今日の夏至から、米一粒ずつ、日暮れが早くなると、ホームコースのゴルフ場のキャディーさんから聞いた。

何時もワンハーフラウンドしていたので、案じての忠告と受け止めた。

 

東京の日暮れは、確かに、いつまでも明るく、私も時間の認識を失した。

 

でも、どうしても、私は今日中にメールを送信したい相手がいた。

その相手から、これまでの私の肩の重荷を降ろしてくれる返事が来た。

 

自惚れではないが、75歳、無駄に過ごしてはいないと自負している私は

相手から、同じ返事が返ってきたことで、解放感と、人を見抜く共通項に、私は、案じていたことから解放されたという想いに祝杯を挙げたい。

 

これで、一つ、懸案のピリオドが打たれたのである。