巣ごもりと雨の日

終日、雨の日となったことで、巣ごもり生活に納得する。

 

仕方なく、檻に閉じ込められた動物のように、ぐるぐると歩きながら、頭は出来るだけ、休むことなく、極力、色々考えながら、狭い我が家を動き回りながら、ふと、思いだした。

 

嘗て、美術の仕事をしている時に、雨の日は、得意先に手紙を肉筆で書いていたのであるが、ここに、ちょっと、私流の気遣いがある。

 

当時の手紙の主流は万年筆だが、それは便箋だけで、封筒は、濡れても

滲まないように、ボールペンを使い、年配の方には、今流にいえば、フォントを些か大きくして、手紙を認め、投函した。

 

現在の私は、「毎日が日曜日」になり、さてさて、今日は何を始めようか

想う毎日が続いている。

 

「晴耕雨読」という言葉があるが、実はこれも私流の解釈だが、「晴耕」とは、目標の一万歩の散歩をしながら、マスク着用で、嗅覚は難しいが、視覚と聴覚は健在である。

 

散歩中も、落ち着きなく、キョロキョロとして、何か見つけたいと思っているが、やはり、空の色や雲の流れや、路地の小さな花や、木々の成長といった自然とのコラボになる。

 

「雨読」は手紙に変わり、示す通りの「読書」でもと、好きな絵本を読もうと思い付き、隣の図書館で、数冊を借りて読み始めた。

 

因みに大好きなのは、これまでにも紹介している「100万びきのねこ」

「ちいさいおうち」、「ペレのあたらしいふく」「ジェインのもうふ」

「大きなかぶ」の5冊を抱えて、帰宅した。

 

不思議に、本というか、絵本をとっても、必ずしも同じ想いや感じ方の受け止め方が、必ずや違うのである。

 

よく言えば、人生経験を積み重ねた結果の価値観によるものか、その日の精神的なものに起因するのか、毎回、その違いを楽しんだり、嗚呼、「そうなのか」といった具合である。

 

午後、世界的にも人気の高い「はらぺこあおむし」で知られる、アメリカの絵本作家のエリック・カール氏の訃報を知った。