日本語が減少してる

昨日の萎えた気持ちを奮い起こすそうと、活字大好き人間の私としては、

新聞を読むのが、楽しみのひとつである。

 

然し、これまでは、気ままに友人たちと接して、話し合う場があったが、

現在のコロナ禍では、人との接触が、極端な表現だが、禁じられている。

 

マスク越しで、凡そ、2メートルの距離をとって話をすると、逆に声が大きくなり、それまでして、話すほどの話題は少なく、面倒になる。

 

そのために、一人で、ゆっくりと新聞をひろげている時間は、今の私の一番の充実の時である。

 

然し、あまりにもカタカナ語や、メディア語といわれる活字を、まじめに

検索していたが、ここ数年、私も疲労感を覚え、特に昨年の手術後、ますます気力がなくなり、スルーしている自分に気が付いている。

 

かつて、友人の母親が「最近は、NHKのニュースですら、カタカナ語や聞いたこともない英語の言葉が多くなって、さっぱりわからなくなって、テレビをもう見たくなくなった」と娘に嘆いていると聞いて、間もなく、テレビを見るのをやめたそうだ。

 

その数年後、介護施設に入所したとの連絡があった。

 

断捨離大好き人間の私も、実は、参考となる新聞の記事や,同感を覚える記事は捨てないで、手元に残してある。

 

昨年、2020年10月10日の日本経済新聞の文化欄に、作家の町田康氏が、「日本語で言え」という記事に、私は、ここ数年、思い続けていた想いを代弁してくれた満足感を覚えた。

 

唯々、そのタイトルだけで十分、私は気持ちがスッキリした。