整理も最終章が近い

取り敢えず、私は兼ねてより後期高齢者の75歳の前に、74年間の人生の出来る限りの整理をしておきたいという目標を70歳の頃から考えていた。

理由は分からないが、私特有の何と無くそんな気持ちを強く持っていた。
アルバムから、趣味の関係に至る私を取り巻く凡ゆるものに対して、取捨選択をして置こうという発想から、友人から趣味とまで言われる断捨離に至るまでである。

特にスピードが年を追って速さを増す社会においては、いつかは役に立つものとの立たないもの、残すもの、残さなくていいものの棲み分けというか選別が必要なのは、不可欠な条件である。

唯、不思議に、大切と判断したものは、セピア色になっても残っているから、自分でもこれは私の特技と言っても良いのかと思う次第である。

この文月である7月が、一つの転機とも取れる整理の最終章に近ずいているのを感じ取っている。
其れも、自分からアクションを起こすわけでは無く、自ずと纏まってくるのだ。

新型コロナウイルス禍において、自分でも驚く程の醜態の時期を過ごし、今は、それなりの新生活のスタイルが見えて来た。

それには、私の性分で、 目の前に過去のものが山積していると、いわば気が散るというか目障りなのである。

これまで私は拙著の際も、パソコン以外にものは無く、頭の中に存在したものに、私なりに蓄積された残されたセピア色の資料が浮かべば、引き出しから取り出すと言った方法で来たので、今後、この新しい生活スタイルに不必要な資料、洋服等、そして相棒のアイパッドとの別れも近い。

但し、母校の小学校は、大切に心に留めておきたいし、整理をしたのはそれ以前のものであり、今の私にとって、例え、東京に居ても、インターネットで繋がっている。

出来れば、来年の3月には、もう一度母校の小学校に帰りたいと願うのみである。