母校が遠くなる

今、私には、母校の学校運営協議会に参加するのが、唯一の生き甲斐として、未来の子ども達が、元気で、明るい笑顔になるような、キラキラとしたアイデアを考え、提案する楽しみを、新型コロナウイルスによって、無惨にも私から、母校を奪った。

本来であれば、4月に令和2年度の第1回の学校運営協議会も、コロナの所為でパスし、先日、7月に第2回目の学校運営協議会が開催される案内にも、今の東京は先週の19日以降、第2波の不安が過ぎる感染数に、私は辛いけれど、踏み止まらなければならないと、内心は今回もパスしなければと想っている。

大切なふるさとや母校に迷惑をかける訳にはいかないのである。

何か、私が後期高齢者になった途端、大変重いプレゼントを頂いた。
コロナは人としての、絆やコミュニケーションや繋がり等々を全て破壊する素質というか存在を持っている。
全く、これまでの人を全否定して、未だに威力は衰え知らずで、どこまで、いつまで続くのだろうと不安を撒き散らしている。

言っても仕方ないと解って居ても、喧嘩を吹っかけたくもなる心境だ。
惨敗するのは解っているが、私には、新しい出発を始めるや、コロナによって、母校を奪われ、然も体調も、パソコンも破壊しかねない存在である。
然も、大切な資料迄、消失する迄に追い込まれた私は、何とも身の置き所が無い。

来週、つまり7月になると、自分の体調の精密検査、パソコンも来週末に専門業社に再度の回復を委ねる予定でいる。

出来れば、あり得ないが、新型コロナウイルスが収束、終息の方向転換をして欲しいと同時に、パソコンも回復して欲しいと、願っている。

苦手な「待つ」しか無い水無月が一刻も早く過ぎないかなあ。