ブルーに拘ってみました

天気予報で、今日が東京で最後の貴重な1日と報じている。
また、今日は「時の記念日」で、100回目の記念日とも報じていた。

10日前後が、梅雨の時期に入るが、今年も例外なく、明日から鬱陶しい日々が約1カ月近く続くのである。

先日断捨離をしていたら、引き出しの下の方から、日本経済新聞の日曜版NIKKEI TheSTYLEの2018年3月25日を見つけた。

「ジャパンブルー」の特集で、明治期に日本を訪れた外国人は、のれんや作務衣など日常に溢れた藍の景色をこう称えた」とある。

この特集版の約2ヶ月半の6月の未だ梅雨の最中にも関わらず、61年振りのふるさとの空は青く澄み切った青空だった。
その後、ふるさとの青空に魅せられたのは、その後3カ月後であった。

故に、3月には、未だふるさとの空を「あさくちブルー」と称する以前に、今を予想していたかの様に、直ぐに資料ゴミに出すはずだが、残っていたのである。

改めて、「青」について、私流の勝手な理論立てに関心を持った。
「青」は明るいが語源と知るが、ブルーデーなどと、サービスが矢張り二面性を持っている様に、深いものがある。

「サムライブルー」も、ネットで検索すると、詳細に説明されているが、日本サッカー協会に拠れば、勝利の縁担ぎの意味である。

勝色は嘗ての武将達が戦いに挑む時身に纏った鎧下と呼ばれる着物に使われ、k外国人が称えた所の藍染めによるものだそうだ。

ブルーをイメージカラーに採用している企業が多数ある。
6月の第3日曜日は「父の日」で、ブルーだと聞いている。

やはり、ある意味でふるさとの空を「あさくちブルー」も、一つの町イメージカラーにいつか、ふるさとの多くの人に心にとめてほしいなあと、東京から秘かに期待し続けているのだが。

いつか「あさくちブルー」のふるさとに帰れる日が来るだろうと、東京の空を見上げる日が多くなった。
今は残念ながら、私がふるさとに時を刻む日には至っていない。