母校は今も晴耕雨読を学びに

昨年から、母校のコミュニティスクールで、私も毎回、未来の子どもたちを見据えて、学校、地域(ふるさと)の方、家庭の3本柱で、育てていくというシステムが、全国各地で夫々が、良き企画案で、凌ぎを削って頑張っているのだ。

私も、その一人として、相変わらず途轍もない企画を考えるのが、何よりの恐らく年齢と頭の回転上、最後のお手伝いであり、生き甲斐だった。

ところが、令和2年の春先から、良からぬ「新型コロナウイルス」の出現に、私は生き甲斐だったコミュニティスクールの学校運営協議会にも帰れなくなったが、母校のブログで、自分の母校への想いを共有している。

昨年は、稲刈りから始まった「ほりでえ☆スマイル♡キャンパス」と称して、土曜日に親子教室で、昨年の美味しいお餅を今年は、最初から最後まで、1年を通して「美味しいお餅が出来る迄」を学ぶという、「もち もち いきいき こめこめくらぶ」として令和2年の最初の日が、6月6日に、お米作りの地元の名人の指導のもとに、先ず「箱苗作り」の日だった。

どうしているだろうかと想いを馳せていたところ、偶然にも日本経済新聞の日曜版の6月7日に「令和の晴耕雨読」というタイトルで、「広い青空の下で作物を育て、雨の日は疲れた体を休めて物思いにふける。そして農作業を通し、社会の新たな扉を開く。令和の時代の晴耕雨読だ」とある。

三面に亘る記事と共に写真が掲載されている。
全ての写真は、笑顔、笑顔で埋め尽くされている。

きっと今頃は、我が母校も笑顔、笑顔に溢れている頃だなあと、想いを馳せていた。
本来、私も病弱ながらも、田植えをした思い出がある。
自然との共生生活が、都会で生活している私には、土や草や雨の匂いを懐かしく思うと共に、時々、都会の生活に限界を感じる時がある。

新型コロナウイルスとの共生生活は、御免である。