決定付けた封書

昨日の夕刻のポストに、一通の母校からの封書が入っていた。
思い当たらず、ドキドキとウキウキが交錯する感情を抑えながら、鋏で封を切った。

六条院小学校の「学校運営協議会委員」の一人として、来月の会議の予定表と、25日の運動会の招待状であった。
土曜日で休校にも拘らず、即座にメール で返信をした記憶が蘇る。

これまでの医療ボランティアも、凡そ30年という長い年月に些か疲弊感が日に日に強くなり、もう一度人生設計を見直し、リセットしなければと、内心悩んでいた日々を、母校の校長先生は見事に見抜いていたに違いないのである。

61年ぶりのふるさとへの帰郷を機に、私の頭には、私を温かく迎えてくれた母校の雰囲気に、疲れ切っていた私に、スイッチが入ったのである。

子ども達の笑顔、元気な声に、私はこの未来ある子ども達に、何かを探し始めている自分に気が付いた。
また、病弱だった私にとって、運動会へのお誘いには、子ども達を通して、私も運動会を味わう機会が出来たのである。

数日前から、体調にシグナルを感じ取っていたので、風薫る5月のふるさとで、ゆっくり休養しようと思い立った私は、20日の月曜日の新幹線を予約した。

これで、一歩前進出来ると、前日から心が踊っていたのを、新型コロナウイルスで、全く状況が異なった私は、なかなか、不安定な気持ちにブレーキとアクセルに苦慮している日々が続いている。

一寸先は闇というが、 全くその通りだと言い聞かせ、私なりの納得のいく「新しい生活様式」を模索中である。

コロナが発生していなければ、22日には令和2年度の母校の学校運営協議会のスタートの日であるが、出席を控え、残念至極である。

どうかふるさとにコロナが近づかないよう、東京から願う日々である。