「新しい生活様式」を考えていたら

昨日のゴロゴロ休日のお返しで、またラジオ深夜便を聴く状態になった。

何となく、全国の近況事態宣言が解除される報道が近い様な思わせ振りな報道が飛びかっている。
短期間だが、報道というか、編集者の口は今程軽々では無かった記憶がある。慎重に慎重を重視していた様に思う。

今、「3密」と言いながら、この「密」は、密閉、密集、密接を意味しているが、高齢者社会で、一人住まいの人は、自ら進んで社会に進出する努力をしない限りは、残念ながら孤立化した状況になる。

今、感染防止の為に孤立化生活を推奨しているとも、また私の斜視的想いが過ぎる。
「新しい生活様式・スタイル」は、手洗い、マスク使用等は、ある意味で、私などは至極当たり前に受け止められる予防医学を重視した人としての常識、礼儀である。

人との接触についても、病弱で直ぐ病気の仲間入りをする私は、母親から風邪を引いている人、咳の激しい人には、極力付き合うのを気をつけ、避ける様に教育された。

この注意感覚は、日頃から当たり前に過ごして来たが、経済に軸足を置くと、「新しい生活様式・スタイル」は、全く大きな様変わりを覚える。
テレワーク・ローテション勤務・会議も名刺交換もオンラインという生活スタイルには、私は加齢もあり、些か疲労感を感じている。

特に最近私はソフトを2019にしたが、以前から以外に頻繁に表示という形で、お喋りでお節介な割に、横文字が多く、特に最近は、一々、ネットで調べる作業だけでもシンドイのである。

最近、また案じていた目にシグナルを感じ、眼科に診察を考えている。

今後は、元来遠慮なく自分の想いと、其れこそ、大切な人とのメールだけの生活が、私の「新しい生活様式・スタイル」で、年齢的ににも、無理をして、界では遅れていると言われる社会のシステムに乗る必要はないと、眠れぬ夜、深夜便を聴くでもなく耳に入って来る中で、天井を見ながら考えていた。

もう一つ、これは亡き父親がチャプリンの「モダンタイムス」が、柔らか頭の中に刷り込まれて居るのも一因かと思っているうちに、カーテン越しに夜明けを感じた。