休日に徹したいが

今日は日曜日だから、少し休日らしく過ごそうと思ったが、長年の習慣は変わらず、相変わらず、ラジオ深夜便をBJMの生活スタイルは変わらない。

何となく耳に入って来ているだけで、内容まではあまり記憶には残っていない。
例え日曜日と言えども、朝のルーティンは変わらない。
朝刊前に、スマホで我がふるさとの気温をタッチすると、不思議にふるさとに自分も存在しているような錯覚が、私はふるさとを共有している満足感がある。

特に「晴れ」と来れば、「あさくちブルー」だと自然心が和むのである。
勿論、母校の小学校の天候については尚更、青空であって欲しいと、ツイツイお節介を承知であるが、私は極力濡れると体に悪いと、病弱な母親の心配は計り知れないものだったと、今、私は気付き始末である。

私は、コロナ前は平均最低でも2万歩を歩いていたが、外出自粛もあり、自宅のマンションのエレベーターを利用しないで、5階迄を必ず、非常階段を利用しているが、到底及ばない歩数である。

朝は一大決心をして、散歩を心掛けねばと思うのだが、何と無くスルーしている情け無い状況のままである。

決心がいつのまにか、忘れて、朝の決心は何処かに、忘れている。
夕刻になった、嗚呼、今日はと思い出した時は既に遅しであるが、まぁこんな日も無いと身体が持たないかと、自分勝手に納得している。

然し、やっと、マンションの住民のゴミの量が幾分か減って来たように思う。
自粛生活で、考える事は同じで、よくこんなに廃棄する物があると驚いたが、今は少しずつ平常の量に戻っているが、例外はワインを始め、アルコール類は依然と多い現実が続いている。

今日は私なりにリズムを調整した休日である。