ひたすら鼓舞するも

先週の木曜日19日のホームページノートのリニューアルに失敗と、、コロナストレスに、とうとう翌々日の土曜日に病院にいく。
明確な症状はないのであるが、珍しく精神的に立ち直れない自分に、何て不甲斐ないのだろうと情け無い気持ちが強くなる一方だ。

ドクターに事情を話すと、年齢からいって念の為に胸のレントゲンを撮るも、異常無しである。
これまで順調にだった血圧が高くなっているとの症状のみであった。
最近、私に関わっているドクターは、全員が全員、口を揃えて「しっかり休養をして下さい」でお終い。

 つくづく、私はどうやらデジタルとの相性が、体調に影響する程に厳しい 存在だと、jき 自分の身の丈を弁える生活に方向転換しなければならない「能力限界年齢」に達したのではないだろうかと、思い始めている。

気分転換には、断捨離で、これまでの人生の清算ができ、 次々と未練から、すっぱりと諦め鋏からの断裁の音だけが部屋の中に流れる。
その鋏の微かな音に、いつしか自分の心の整理がつき、心が鎮まって来る。

そんな数日間を過ごす一方で、 今夜一晩寝れば、明日25日には、懐かしい故郷の母校 が待っていてくれると想いで、ひたすら、今のやり場の無い辛さにも、 灯りが見えてくるから不思議だ。

恐らく、これまで頑張って来たつもりの都会での生活に疲れ切ったのである。
数年掛かって考えて来たターニングポイントが、今回の挫折で、はっきりと私の進むべき優先順位が明確化されたと思うと、体調を崩すのも、一つの指針になってと、考えられるのである。

何たって、明日はきっと晴れて「あさくちブルー」に会えるのだから。