青空に想いを綴る

朝からすっきりと清々しい青空が広がっていた。
一昨日の桜の開花宣言に、近くの公園の桜桜もと期待を持って見上げると、まるで無表情に固い蕾で、未だ時間がかかりそうだとがっかりする。

期待を裏切られたが、園児が元気に駆けっこして声をあげている光景に、思わず笑みがこぼれる。
数日前から、メールや電話でコロナショックとかコロナストレスといった表現を多く聞き、大人たちの限界状態が日を追って強くなっているのが分かる。

そういう私も、自分を自分でケアしながら、闘っている。
相変わらず、鋏を相棒に、ひたすら黙々と、チョキチョキしている毎日が続いている。
今週は、故郷の母校の卒業式に出席する筈であったが、其れも叶わず、私のコロナショックである。

公園を吹き抜ける風は、冷たいが、暫く青空を見上げていた。
この空は故郷まで続いているのだと、自分をリセットしていた。
そして母校の子ども達は、あさくちブルーの下で元気にしているだろうかと想いを馳せてしまうのだ。

終息の気配は無く、段々、気持ちが沈みがちであるが、今の私には、嘗て母校の校長先生の「故郷は何時も待っていますよ」の言葉を思い出し、ジーンと胸が熱くなる。

出来れば、一刻も早く、世界から新型コロナウイルスが終息する様に、青空に向かって私は祈る想いでいる。