桜の開花前と開花後

朝は雨が降り、ふと気がつくと「雨がふります 雨がふる」と懐かしい童謡を口ずさんでいる。
北原白秋作詞によるもので、外で遊ぶ事も出来ない子ども達の気持ちが良く現れている。
最後は、ちょうど今、日本中を重苦しく覆っている私達のやり切れなさを唄っていると、因みに「雨がふります 雨がふる 昼もふるふる 夜もふる」と締め括っています。

何とも私自身の気持ちが実に表現されていると想っている。
休校中の元気な姿が見えない寂しさを大人にも重ね合わせ、夫々の辛い想いを共有出来る奥深い歌詞だと感じていた。

メディアも何か明るい話題にと努力している姿が痛い程理解出来る。
今年は例年より、桜の開花が早いとの予測を心の何処かで待っている気持ちもある。

確か、気象庁では、目視による観察を廃止したとのニュースに私は、今年から桜の開花も無くなるのかと瞬時に怒りを覚え、何処まで味気ない時代に進んでいくのだろうと、日本人の細やかな感性を案じた。

然し、桜の開花は、気象庁職員による目視によって宣言されたニュースに、朝から続いていた重苦しさに少しだが気持ちは晴れた。
スマホの映像で、逆に心に痛みを覚えた。

何と雨に打たれてながらも開花した弱々しい花に、私は桜の花の気持ちを聞いてみたいとさえ想ったのである。
然も、雨から霙から、雪に変わった今日の午後に、律儀に私達の想いを察して開花したのではないかと。

桜は開花する迄には、桜の樹は開花の為にエネルギーを蓄え、樹が熱くなると言った記憶がある。
そのエネルギーを今日の開花に蓄えた自然の持つ条理に人は謙虚にならなければと。
弥生3月月になれば、桜は開花すると当たり前に思っている事の一つひとつが警鐘を鳴らしているのでは無いだろうかと。

そうだ今日はホワイトデーだった。
然し、何時もなら盛り上がるホワイトデーも寂しく、話題にも取り上げられなった。
全てがフリーズした様な1日だったが、せめて開花した桜の弱々しい花だけはフリーズしないよう願っている。