ふるさと愛を決定的にした青空

 昨年の11月8日、私は故郷の地である浅口市の天文台のある竹林寺山の頂で、見上げた空に思わず経験したことのない青空に、私はその場で立ち尽くしてしまった。

既に6月に、母校のPTA70周年記念に卒業生の私に講演依頼の機会で、61年振りに帰郷した際に、確かに梅雨のシーズンだが、母校の講堂には明るい日差しが差し込んでいた。
然しその時は、身に余る重責に余裕を失していた。

無事に終わり、すっかりモダンな建物に変わった故郷のプラットホームで帰京の為に列車の到着を待っている間、何とも言えない故郷の香りのする風が私を包み込むように吹いた時、私は忘れていた故郷の風を感じた想いを胸に帰京の途に着いた。

もう二度と故郷に帰る機会は無いと思いながら、帰りたいと言う想いが迸って切るのを抑えきれない日々が続いた。

然し、そのような私の想いに救いの手が差し伸べられ、再度11月8日に帰郷した。
午前中に案内されたのが、竹林寺であった。
「晴れの国 おかやま」とは聞いていたが、わが故郷の浅口市は大気の安定と晴天率の高さから「天文のメッカ」と言われていると聞いた。

確かに「天文台のまち 浅口」に相応しいと納得する一方で、私は「青空」が強烈に脳裏にインプットされてしまった。

地元の人に私が興奮して話す「青空」に「当たり前」との刷り込みがあり、どうして私が熱くなっているのか不思議な表情でいる。

どうも昔から気になると、とことん突き詰める性分が、忘れていた私に火を付けた。
それからの私は、機会あるごとに、iPadに納めている「青空」を見せた処の反応に、私は自信を持ったと同時に、私は地元の人も気付かなかった「青空」を。多くの人に発信したいとの想いでいた。

つまり、私は故郷を離れた故に、新たな視線で発見したということである。
ちょうど、今日で一年になるが、帰京後、尊敬する方にも相談したり、責任もあり軽々しくは独断は許されない。

ある方だ、私の背中を押してくれるヒントに、故郷の青空を「あさくちブルー」と
名付けた。

まさに、「あさくち ブルー」の記念日と心に秘め、ふるさと愛が昨年6月の帰郷以来、私の人生を豊かにしている。