何て爽やか

今日から霜月、いよいよ晩秋の季節に移る。
先月迄の通り越して来た様々な出来事が霧が晴れた様に、頭の中がスッキリして実に「清々(キヨキヨ)しい」のだ。

こんな爽やかな日を迎えるなんて考えてもいなかった。
然し、今私はハッキリと自覚していると共に、心も穏やかである。

長年活動して来た病院ボランティアの限界を遡ると数年前に、頭から離れない程の重さを感じていたが、年齢的にも、また自分の体力をも削ぎ落とすほどの重圧から、早く解放されたいと想い続けて来たが、その問題も最終章を自分の中で、やっとキッパリと結論を導くに至ったのである。


17歳から約40年病弱な私を支えて下さった病院で、凡そ30数年の長き病院ボランティアに終止符をうてる事も幸せと思えるからである。

不思議にそれ以来、「澱」の様に身体にのし掛かっていた目には見えないものが消えていくのを感じた。
更に、此れまで苦痛と思っていた活動が、とても軽やかに、新鮮すら感じている自分に気付き、最終章迄は、悔いのない活動をと思えるに至ったのである。

この問題がクリアーになる事で、全てがスイスイと心身共に軽やかに動き始めたのである。

先月末の母校の小学校も、ある意味で一つの節目というか、次のステップに進むために大切な意味ある問題についても、私なりに恙無く解決の一助に繋がったと、安堵を感じ取っている。

母校の温かさに、久し振りに伸び伸びと発揮出来たと言う幸せ感も、今日の爽やかに繋がっている。
本当に、故郷に救われ、ターニングポイントに繋がったと想っている。

今、未来ある母校の子ども達の元気な声、笑顔が私には大きな生き甲斐であり、私が何が出来るか想う日々が、楽しくて仕方ないのである。

この幸福感が1日でも長く続く為にも、自炊に励み、優先順位を良く見極め、今日の様な爽やかな毎日を過ごしていきたいと心から想える忘れない日になった。