言葉を探し、表現する楽しさ

7月末の故郷の小学校の学校運営協議会から帰京後、間も無く、母校の「ブランディング」という案が、会長から思い掛けなく伝えられ、実は私も全く密かに脳裏を過ぎっていただけに、素晴らしい浮上案にお手伝いしたいと想っていた。

この案に私は大賛成で、さて「ブランディング」で、2005年から約2年間、「区民憲章」作成のお手伝いをした時の言葉探しに苦労した記憶を思い出した。
当時は、無我夢中で、自分では納得しても、凡ゆる表現から受け止める事に、個人差がある経験もした。

今、約15年の時を経て、あの時の体験を多く学んだことが生かせる立場に、私は言葉を文字に、表現する作業は、殊の外、当時でも大きな生き甲斐だった。

今度は、我が母校の小学校の為にお手伝いが出来る幸せで、異常な暑さにも拘らず、スイッチが入っている自分の高揚感が分かる。

改めて、ブランディングについて、考えるにあたり、切り抜いたままの山積した新聞の記事から、不思議に時間の経過から、ふと、思い出す記憶力に自信を取り戻すのである。

2019年7月1日の日本経済新聞朝刊の教育面に、法政大学総長の田中優子氏の「法政大学のブランド戦略」の記事に拠れば、『「ブランドとは社会との約束である」という考えを軸にすえた。』一節である。
その「社会との約束」は全員で作る」との記載に、私は、自分の想いが纏まっていく決意に繋がった。

故郷では、旧暦の8月7日が七夕であり、私案を投げ掛けて、故郷の小学校の素晴らしいオリジナリティ溢れる「ブランド」に少しでも役に立てるよう、遥か東京の夜空から願いを込めていた。

何時も求められた時に、これまでの生きて来た経験が、時を経て活かされる、決して無駄は無いとの想いに、歳を重ねるのも良いものだと思った次第である。

今から、私案に対しての運営協議会委員から、どの様な反応があるかを楽しみにしている。