6月18日

15日からの私はメールや電話に敏感になっていた。
今日18日は、父の命日であり、恐らく故郷のお手伝いをしていることを喜んでいると思っている。

父には申し訳ないが、親友の安否に気がとられて仕方がなく、出先でも頭から離れない状態が続いた。
昼食の準備を始めた矢先、娘さんからの電話であった。
悲しい知らせだった。今朝ほど苦しむこともなく家族全員に看取られて旅立ったと聞く。

私は、娘さんにどうしても聞きたい気持ちを抑えることが出来ずにいたことがある。
それは、何故、自分の命を賭しても私に母校に行く様にと「声なき声」で私に伝えたのかと言うことだ。

娘さんは、私の気持ちを察するかの様に、「母は淺野さんのホームページやブログを毎日、とても楽しみにしていました。特に、昨年の母校での新聞記事を友人達にも、嬉しそうに見せていました」

「今度、帰郷する時は、何とか時間を作って、新大阪で途中下車して逢いたいなぁ。私達も歳だからと言っていた矢先でした。本当に元気なうちに逢いたかったのだろうと思うと、残念です」

娘さんから、改めて親友の想いを聞いた私は、胸が締め付けられる程、後悔で辛かった。

転校時からずっとずっと、私のことを見守っていてくれた親友の想いを知り、何て素晴らしい親友に恵まれたのだろうと、今後は親友の為にも大切に生きていこうと想っている。