遂にスタートした

今、私はいよいよ本格的に、自分の生き甲斐を見出し、そのスタートへの道に向かう新幹線の車内で書いている。
昨年の61年ぶりの故郷の母校に帰郷した、帰途の懐かしい駅のプラットホームで電車を待っている時だった。

私を包み込むような風に、故郷の薫りに優しさを感じ、堪らない気持ちを抱えて帰京したのだった。

2016年に、主治医から降圧剤の使用が必要との診断を受けた。
もう少し、自分を大切に、もう少し自分の時間や、楽しみを持ったライスタイルに切り替えるようにと勧められた。

確かに、このままの状態が続くと思うと、矢張り、私らしく生きる道に切り替えなければとの想いが強くなっていった。

その数年間、自分らしさが解っていても、年齢から何処か躊躇する自分に気付き、弱腰になる。

その時、私を救ってくれたのは、偶然にも61年前の母校の小学校だった。
私の気持ちがどんどん故郷への関心度が深まっているではないかと。
これが待ちに待った、私の新しい生き甲斐の道へと繋がっていく。

数日前に、小学校より、丁寧な封書が届いた。
25日の運動会のご案内にしては、ちょっと違う感じた私は、一瞬、「ときめき」を覚えた。
運動会のご案内と、母校の「コミュニティ・スクール」の運営協議会委員の依頼状が同封されていた。

長く続いた生き甲斐探しで苦しみ、踠いていた私を又もや、故郷の母校の小学校に救われた。

恐らく来月、またその委員会に参加する為に、新幹線の車内で書いているであろう。