平成時代を閉じる

現在74歳を迎えた私は、昭和と平成時代を生き、明日は新しい元号を迎える最後の夜である。
どちらかといえば、昭和の時代の方が過ごした時間は長い。

改めて、私の平成の人生はと思うと、この期間は私が最も苦手とする「自分を抑える」「我慢する」に代表される。
未熟児で生まれた私は、経験上、「我慢する」と身体にシグナルが出ることを避けて来た。

ところが、批判を承知して敢えて言えば、平成は私にとって「我慢」に代表される時代だった。

その重苦しい自分との闘いから開放されたのは、母校の小学校からのメールであった。

当時の小学校の4年生の先生が、私が気付かなかった「生き甲斐」を見出してくれた。
担任の先生は、当時の通信簿に「文章力が抜擢」という評価をしてくれたのである。

私にとって、初めて自信が持てる唯一の救いであった。

時の流れで故郷の風景は大きく様変わりしていたが、懐かしい61年ぶりに母校の小学校に帰郷した。

数年前から、身体的に変化を来たし、主治医からも注意の回数が増えていた。

「我慢する」事に限界を感じていただけに、私には今から想うと、帰郷が後にターニングポイントを真剣に考える機会に繋がっていた。
平成の時代が終わる事は、私にとっては大きな弾みにもなり、次への新しいスタートに後悔は無かった。

私にとっては、ある大きな意味を持った時代が閉じた。