ある終焉を迎えた

平成の時代がカウントダウンに入った。
別に順応した訳では無いが、約1ヶ月程前から、私の周囲の変化を何となく感じていた。

私のターニングポイントを察したかの様に、今年は今迄の年間の予定がすっかり姿を消していることに気が付いた。
不思議に疑問すら持たなく、ホッとした自分がいた。
数年近く重苦しさを感じていた問題にも、信頼出来る後継者が産声を元気に誕生した。

これで頭の中に占めていた問題も解決したことが、こんなにも私は主治医から何度も注意を受ける程迄の見えない重圧に驚くた。
同時に、何年ぶりだろうか、私がしたい目標に今後は専心出来ると、思わず笑みを隠せない。

以前も取り上げた事がある話題だが、物事に一区切りすると、自動的に整理、解消、解決してくれる。
今回も、前日アイパットの中に収めてあったPDFの資料が完全に消失している。
誤操作で、解除した記憶は無い。
これまでの時間に費やした資料等は、今後の私には必要性が無いと言うことを意味している。

昭和から平成迄の私の歴史が終焉を迎えた日だと言える。
新元号までに、人生の舵取りに前進した証と今、私は受け止めている。

欲張る気はサラサラ無いが、次の目標がある程度形あるものに仕上がるまでは、何とか命が続くことを望んでいる。

背筋を伸ばして、残された目標に全力を尽くしていきたいと想っている。