この日を迎える為に必要だった

昨年の冬、話には聞いていたが、まさか私が「コミュニティークラッシャー」と言われる「自我承認欲求」の洗礼を受けるとは想像だにしていなかった。

聞くところによれば、、健康を害した人もいると聞くが、何しろ初めての経験だけに対応の仕様がない。

相手は自分が気付かないだけに、対応次第ではエスカレートの危険性があるとドクターから注意を受け、対処方法のレクチャーも受けた。

然し、この洗礼が皮肉にも私の「ターニングポイント」を加速する結果になった。
今となっては、私は感謝する気持ちに変化する程の平常心にある。

年齢的にには、何が起こっても仕方ない歳を迎えているが、いつまでも人は良きにつけ悪しきにつけ、経験を通して成長する。

時代も平成から「令和」に新しくなるのも、残すところ2週間弱の今日、私は何となく生きにくさを感じ始めている時間が多くなってきている自分と闘って来た。

何方からとも無く、立場は異なるが偶然にも同じ考え方による結論で合致した。

やっと私の冬が終わり、立春から始まった春もの24節気の「穀雨」で終わり、種まきに向けて本格的に季節は進んでいる。

心身共に、本来の自分を取り戻し、恐らく私にとっては最後になるであろう「生き甲斐」に取り組める時が来た。