春は何処から来るかしら?

今日は弥生三月、初めての金曜日の朝は小さな雨粒がポツリポツリと降っていた。
何時ものお馴染みの飛行機は、恐らく厚い雲に隠れて見えなくて、チョット寂しい。

三月は終わりも有れば始まりもある。
先ず、その始まりは間も無く年輪を刻み日が近いことだ。
その年輪の日には、姿を現して欲しいなと、私は待っているのも負け惜しみでなく楽しみだ。

所謂ハラハラ、ドキドキを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかの違いには個人差がある。
表現を変えれば、期待しないでいる方が楽だという考えかたもある。

矛盾しているようだが、生来「待つ」ことが苦手でもある。
「待つ」という事についても、自分なりに精一杯努力して「待つ」という事である。
唯、ひたすら「待つ」だけという感覚は理解し難いし、苦手を意味する。

考えてみると、自分から仕掛けているのかもしれない。
だから、その「待つ」時間が楽しいのでは無いだろうか。

何れは、嗚呼そうだったのかと言った答えを見いだす日を時めきながら待つとしよう。