「出る杙」は何センチか

昨年から健康診断を3度変更をする事情が出来てしまい、とうとう担当者から注意される。
「明日迄ですから、変更はこれで出来ませんので宜しくお願いしますね」
「今年は何度も変更ばかりして、ごめんなさいね。必ず伺います。どうもありがとう」

最近身長が毎年、僅かに縮んでいる。友人達からも同様な話題になる。
確かに、身体状の現実はそうであるが、ある雑念が頭を過ぎった。

此の所、私は「出る杙は打たれる」というか、ターゲットにされている感が否めないでいる。
間も無く一つ歳を重ねるが、振り返ってみると「出る杙」になった経験の記憶が無い。
手元の三省堂の新小辞林の辞書で、「出る杙は打たれる」の意味を調べたところ2種類あった。
一つは、『人よりもすぐれている者は、とかく憎まれたり、いじわるされたりする』とある。
二つ目は、『差し出がましいふるまいをする者は、とかく他からこらしめを受ける』とある。

二つの意味から、前と後の部分について該当するのは、後の部分に近いことは否めない感がある。

然し、これが私のキャラなのか、前の「人よりすぐれている者」「差し出がましいふるまいをする者」と受け止めた方が、自分自身が幸せに思えるし、感情的にもならないで済むからだ。
「出る杙は打たれる」を自惚れと承知の上で、私は前の部分と決め選択した。

そうすると、私の『杙』は何センチなのだろうか?
健診では毎年減少傾向にあるのだから、この見えない『杙』が補ってくれているのかもしれない。