何故、断捨離に拘るか

曾て72歳の誕生日を区切りに、今迄の人生の総決算をしておきたいと考えていた。
ところがである、意志の弱さと生来の脆弱な体調や目先優先を理由に、時間だけが進んでしまった。

今年は、何か変だとしか言えないが、関東地方は6月末に梅雨明け、7月に入るや都心に初の猛暑日と、何か自然もリズムを崩している。
況してや我が故郷の岡山は、日本一降水量が1ミリ未満の日が多い「晴れの国」が痛ましい豪雨に、夏なのに背筋がゾッとする感が拭えない。

長年冬に弱い私は、夏に大掃除を習慣として来た。思い切り窓も開放し、日差しも明るいから、体も縮こまらない利点がある。

運良く相手から、整理事情が飛び込んできた。衛星放送の契約の件で、テレビは廃棄処分、間も無く扇風機もダウンしてしまった。
新しく扇風機を購入するより、暫くエアコンのクリーニングをパスしていた。
エアコンの方が、扇風機の置き場が無くなり部屋がスッキリすると気付いた。

この異常気象のせいか、花も青息吐息といった状態でアメブロの「花とエスプリ」も夏休み宣言と言い訳がましく、已む無く休載にした。

時間が出来たと思うも、頭のキレが悪く、処理能力が衰え、体の動きも緩慢なのが悔しいが分かる。
しかし、この機会を逃すと、「しなければ」という焦燥感に追い込まれる。

異常気象で予想外の事も起こり得る。特に、お一人様の私はいつ、人様の世話になるかも知れない。
又、人様に見られても恥ずかしいものは何一つ無く、迷惑も掛けない様にして置くためだ。
故に、断捨離に拘っている。