そうだ、万年筆を使おう

毎朝、6時に朝刊を広げるのが、私の1日のルーティンになっている。
朝のこの時間は、一番楽しみであり、色々な情報に様々な感情や、気づきなど自分を取り戻せる貴重な時間でもある。

また夕刊は、事情がない限りは4時半に目を通している。
夕刊も何時もの時間帯に読めないと、落ち着かない。

殺伐とした記事より先に、広告面を優先する。ニュースはスマホやアイパッドからいつでも入手できる。
思わず、思いがけない広告との出会いに期待している。

亡くなった父親が、歴史はある周期で繰り返されると聞かされていた。
正にその通りの広告が目に飛び込んできた。

連休の始まる4月28日の夕刊に、日本の老舗の企業の商品の広告に、ジーンと胸が込み上げて魅入ってしまった。

その商品は私もすっかり忘れていた万年筆のコマーシャルで、コピーは控え目の中に、嘗て使用した人にしか届かない感性に富んだ内容だ。

そうだ、万年筆で、約人生の3分の2以上愛用した、私の良き相棒だった。
発想とグッドタイミングで、筆が進んでくれるその心地良さは、パソコンやボールペンでは見出せない。
万年筆では、書き損じることがないことにも助けられた記憶が蘇ってきた。

思いつくと落ち着かず、片っ端から引き出しを 探すと、見つかった。
懐かしく使い古した万年筆を握りしめ、シックリとする感触に暫し想いを馳せる。

カサカサした無機質な筆記具に、デジタル疲労なんて言葉が生まれている日常に辟易していた私は、人間性を取り戻す機会になった。

そうだ、出来れば万年筆をまた相棒に認める日が待ち遠しい。