体験の力

今日で弥生3月も終わる。私は弥生3月が、誕生月だけにジーンと胸に込み上げるものがある。
出来ればこの様な至福の時が長く続く事を正直言って秘かに願っている自分がいた。

6月には故郷での講演が待っている。心は既に時間があれば、故郷に思いを馳せている。
今はネット上で、調べることができる。グーグルアースで見て唖然とした。
全く様変わりで、想像を絶した故郷に驚くばかりで、61年の月日を実感した。
一方で嬉しさと緊張が交錯している。

ただ、私はこれまでも一貫して、体験のみしか語れない。
ここで一つ疑問が頭を過ぎった。「体験」と「経験」の違いが気になった。

広辞苑と言いたいところだが、私には曾てゴルフ場の確か30周年記念品のハンディな「三省堂第二版・新小辞林」を常に手元に置いている。相棒の様な存在なのだ。

その相棒によれば、「体験」は「実際に経験すること」更に「体験談」とある。
「経験」は、「じっさいにやってみること」「経験によって得る知識・技能」とある。

辞書を引いて、逆に混沌と後悔の感が拭えない。
無意識の内に、私は「体験」の使用度が多い。

経験の方がチョット自己顕示を感じる。やはり私は「体験」が馴染みやすく思える。
これまでの体験が生かされることは、決して何一つ無駄になってないと、私の背中を押してくれる気配を感じている。