ザ・ファイナル

最近、友人の死の知らせを受けることが多くなりました。

一昨日も悲しい知らせに、自分もその時が近づきつつあることを受け入れなければならない年齢になったということを思い知らされます。
今の時代では、70歳代の死は早過ぎるように思いますが、こればかりはなんともできないことです。
かつて緩和ケア病棟に入院中の方から、できれば自分の誕生日にこの世を去りたいと話されたことを思い出します。
結局、その方の願いは叶わず、お誕生日から約一カ月後に旅立たれました。
その方になぜ、お誕生日がいいのですかと尋ねましたところ、男というか自分のロマンかなと話されました。
実は私も同じ想いを抱いています。その方はロマンとのことですが、私は単純に人生の帳尻合わせと考えているだけです。
しかし、私は7ヶ月の未熟児でこの世に早々と飛び出したわけですから、実のところ本当の誕生日はわからないなんて考える時もあります。
縁起でもないのですが、今日の夕刊に美術家の中西夏之氏の死亡記事に、また一つ寂しさを感じます。
中西作品といえば、細く繊細なメッシュ状の作品と、なんとも言えない紫の作品が目に浮かびます。
現代建築にとてもマッチし、私の場合は版画ですが、ずいぶんお勧めして喜んでいただきました。
シンプルで無機質的な空間ほど、白と紫の繊細な中西作品の存在感に魅せられたものです。