見ざる・聞かざる・言わざる

今日は防災の日。命あっての物種とは言いますが、メンタルな部分も防災の一つとも考えています。

私の友人で、初めて妊娠した時に、今まで何ら抵抗なく聞くことが出来た長年の知人の声を聞くと、つわりのせいで急に吐き気をもよおすようになったという話を思い出しました。
私の周辺で、ある人の話なのか声なのかが耳障りになるという。聞くところによれば、その人が話を始めると耳を塞ぐそうです。なんとその状況は5カ月も経ているのでした。
その行為に気づいていたのですが、まさか自分にのみの行為とは考えられなかったのですが、どうやら該当するのは自分のみと察したのです。
それぞれの必要上の事情があってのことでこれといった結論は出ない問題です。
今年は、申年、そういえばハタと思いついたのが、日光東照宮の左甚五郎作と伝えられている「三猿」の「見ざる・聞かざる・言わざる」にヒントを見出したのです。
礼儀作法はキチンと隙のないようにすれば良いのであって、関わりが少なければ、必要なことだけを落ち度なく礼を尽くして行動すれば良いのではないでしょうか。
ただ、日光東照宮には左甚五郎作の「眠猫」は傑作と言われていますが、「三猿」は?。
都内のマンションとマンションの隙間に「フランネルソウ」が咲いています。花言葉は「強い気持ち」だそうです。
これは私のことで、カナリヤの声と自惚れていましたが。まあ人生も声もいろいろあっていいのでは。
9月からこのスローガンを掲げて参りましょうか。相手は手強いので私の独り相撲かなぁ。